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****もぐもぐもぐらが絵描きになるまで個人的回想編****
浄土真宗の寺の者である祖母から
毎朝仏前正座でお経を読まされ、
阿弥陀経を宙で唱える幼稚園児。
それが記憶の始まり。
3歳になる前から絵は描いていたそうな。
↓これは5歳のときのバッタ絵。
9歳の頃から、ボランティアで南米に小学校を建てたり植林活動をしたりと、海外でも活動をする父に連れられ、幾度か南米の貧民街を旅した。
握手した幼い少女の手がゴツゴツだった時に、生まれもった星の運命を感じた。日本では決して見る事の出来ないものをたくさん見せてもらった。

高校に入ってから、高校所在地が遠距離だっため、
中学から実家を出ていった長兄、拓哉との二人暮しが始まるが、
引っ越した初日に兄が暴走族になっていた事を知る。
しかも副総長。
いつもデンジャラスな話を聞いては、小心者の私はトム・ソーヤの冒険話を聞いてる心境になった。男によっては、こうも人生が違うものか!!と感心に至る。
高校から帰宅すると、家にはよく全員集まると8色色鉛筆みたいな人たちがいた。確実に危険な臭いがした。
そして私が高校3年の時に兄は私の目前で御上に御用され、少年院送致。出院後、父から南米に送り飛ばされる。
その後、スペイン語ポルトガル語が喋れる国際ヤンキーとなり、帰国後、夜中3時に平気で太鼓を叩きだすサンバ狂いとなっていた。現在、サンパウロ新聞社のジャーナリスト。
妹YURIはノンキにのびのび育ち、
霊能力者には「前世はのほほ〜んと暮らしてました。今世ものほほ〜んと生きるでしょう」とまで予言された。
現在、絵描き業とカフェ業を同時進行中。
2歳上の長兄は私が小6の時に出奔し、
私は15歳で出奔。
5歳年下の当時小4だった妹は独り実家に取り残され、
それぞれがバラバラに大人になり、改めて集まってみると
皆、アーチストになっていたってんだから、遺伝子の不思議。
高校ではヤル気を出して速攻美術部入部。
しかし最初の市美展かなんかで「下描きを出せ」と言われ
出したらば「お前の絵はジャンル分けが出来ないから風景画にしなさい」と言われ、いきなり挫折。退部。
よくよく見たら今と全く同じ世界観。
先生!!
その後大学まで絵を描く事をほぼやめていたが、
大学1年の6月。
大学そばの「喫茶 夢工房 貘」にてマスターと運命的な出会いを果たす。その年の12月頃、たまたま作ってた年賀状をマスターに見せると
「実は天神にギャラリーを持ってるんだが、個展をしないか?」と急遽持ちかけられる。「なにーー!!それ、モテますか!?」
「大きな絵は描いた事ある?」「いえ、ないです」
「じゃあ1年あげるから、1年後の個展までに絵を描いてみてよ」

↑この絵の何にマスターが魅力を感じたのか、未だに不明だが、
これぞ人生。人と人の出逢いが事の始まり。
それからは貘のマスターに年1度の個展を申し付けられ、
個展費用全てタダ。下手したら飲食代までタダにして頂き、
「この御方を裏切っちゃなんねえ〜」
それからというもの絵描き一筋、邁進したのでございます。
こうして現在の私の人生はぼちりぼちりと進みつつ、
今も元気に絵を描いてる日々でございます。
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アートスペース貘
http://www.artspacebaku.net/
このHPの歌を唄ってくれたのは
ステレオ少年
http://www.stereoshonen.com/pc/index.html |
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よしなが こうたく /KOUTAKU YOSIHNAGA
Mail : koutaku@edomacho.com
URL : http://www.edomacho.com
生年月日 1979/12/31/大晦日
出身地 福岡
出身校 九州産業大学VD科卒
性別 アイドル志望
血液型 A型
星座 やぎ〜
18歳の時より作家活動を開始。
個展をベースとした4年間の作家活動のすえ、
2002年上京。
イラストレーターとして国内外問わず活動。
2007年2月より拠点を福岡に戻し、
兄妹ユニット『 STUDIO Edomacho』設立。
2010年4月、絵本をもっと頑張るため、
再び拠点を東京に戻す。
『 イラスト:絵本 = 1:9 』の割合で活動中。
絵本出版を機に、読み聞かせも2007年6月より開始。
けっこう上手くなりました。
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